
「人は本能的に自然を求める」天然の香りをデザインし、空間を心地よく進化させていくまで
ラウンジや店舗などの空間に合わせて「香りをデザインする」センティングデザイナーの深津恵さん。ほかにも、商品開発やプロデュースなど幅広く手がけています。さらに世界中を巡り、香りの原料となる植物の造詣を深める活動も。香りの専門家である深津さんと、フレグランスセルフケアブランド“álem”ディレクターの田口まさ美が「香りがもたらす恵み」について、お話しします。

「実家は製材業、木の香りに包まれて育ちました」
田口まさ美(以下・田口):深津さんが生み出す香りは、新しさがありつつ、懐かしさもあり、心が穏やかになります。
深津恵さん(以下・深津):植物由来の香料だけを使用しているので、過去の風景や記憶が香りによって呼び覚まされるのかもしれません。
例えば、子供時代に感じた、土や草、花の香り、湖や川のそばの湿り気のある匂いのほか、自然の中には心地よい香りがたくさんあります。私が重ねた香りの中に、懐かしい風景につながる要素があったのでしょう。
田口:確かに、そうかもしれません。香りは記憶とも繋がっていますから。深津さんは、繊細に香りをデザインしていますが、その特別な感覚は、いつ頃から意識したのでしょうか。
深津:18歳で進学のために東京に出てきた頃から、徐々に気づき始めました。私が生まれ育ったのは、大分県日田市で林業を営む実家です。
敷地内の製材所からは、心地よく清々しい木の香りが流れてきて、近くの山や畑からは、四季折々の花、青刈りの草、しっとり湿った苔、柑橘類の果実の香りが漂ってくることもありました。私の嗅覚は、この環境で培われたのです。
このように自然豊かなところから上京し、航空会社に就職して客室乗務員として働き始めました。人工的な環境で長時間過ごしていることで、やがて体に不調が出るようになってしまったのです。
その改善のために、アロマテラピーと出会い、アロマセラピーの英国国際ライセンスを取得。経験と学びを深めていく過程で「自然の香りに関連する仕事を、一生続ける」と確信し、職業にすることに決めたのです。

香りは状況を問わず、人に寄り添い、癒してくれる
田口:施術者ではなく、「香りで空間をデザインする」という構想が新しいです。
深津:人工的な環境で仕事をしていた経験から、本物の自然の香りがある環境を提供することに、大きな意味があると実感しました。それに、香りの仕事を始めた25年ほど前、植物や自然光、水など自然につながる要素を空間に取り入れる、バイオフィリックデザイン(Biophilic Design)という手法が広まりつつありました。
この手法は「人間は、本能的に自然とのつながりを求める」という思考をベースにしています。心を安心させ、穏やかにしてくれる自然な木や草花の香りが、求められていることを感じ、仲間と共にマーケットを開拓していきました。
田口:天然の香りがもたらす力は、私も感じています。“álem”も、脳科学的な知見を参考に、自然由来の香料を使い、張り詰めた心身をほどく、“クールアロマリフレッシャー”をリリースしました。そのほかのプロダクトも開発中です。
深津:香りはその人の状態や背景を問わずに寄り添い、癒してくれます。気持ちがリセットされたり、元気になったりするのです。自然の力は、やはりとても偉大です。その力や背景を知りたくて、私は世界中の香料の産地に赴いています。

「イランイランの花は夜明けに摘みます」
田口:とても興味があります。印象に残っている地域はどこですか。
深津:数えきれないほどの国や地域に行きましたが、やはり印象に残っているのは、アフリカのマダガスカル島です。島は太古の昔に大陸から分裂しており、植物たちが独自の進化を遂げています。島に生息している植物の大多数が、ここにしかない固有種で、たくさんの植物に出会いました。
また、ここは「花々の中の花」と称賛されるイランイランの産地です。マダガスカル北部にある、小さな離島のノシベ島では、ほぼ全島にプランテーションがあり、甘い香りに包まれています。その香りが濃くなるのが夜明け前。人々が黄色く熟した花を手で摘んでいきます。
島の人々の暮らしは、私たちの経済的感覚では、決して豊かではありませんが、それでは測れない喜びがあり、自然と人が結びついていることを感じました。
気候の特性と自然の恵み、脈々と続いてきた人の営みと技術、香りは多くの物語を内包しています。その上で香りと向き合うと、見える景色が変わりました。
日本国内も巡っており、最近は長野県でクロモジ、ヒノキ、杉、アカマツなど印象的な香りと出会いました。

アスリートのように体を調整し、香りを作り上げる
田口:香りはどのように調合しているのですか?
深津:かつては香りを細かく、繊細に、虫眼鏡で見るような感覚で掘り下げることが多かったですね。食べるものや体調をコントロールし、アスリートのように体を調整している時期もありました。
でも、経験を重ねた今は、普通の暮らしをしながら、香りを作っています。普通の人としての感覚も大切だと思ったからです。もちろん、作り込むときは集中しますけれど。
田口:香りは自然と向き合うことでもあるから、そこに合わせてチューニングするのですね。
深津:はい。香りは自然の恵みそのもの。だからこそ真剣に向き合いたいのです。ですから、環境への負荷を減らすことも課題だと思っています。香りを次世代へ繋ぐ、この考え方から生まれたのが、精油、“SUGI WOOD AROMA”です。
これは、実家の製材工場の木材製造過程で出る香りを「もったいない」と思ったことから始まりました。木材は木材乾燥機で乾燥させてから出荷するのですが、このとき、とてもいい香りが出ます。これを回収し、精油と水に分類して香料化することを考えました。
研究者の協力を得て、環境負荷が少ないバイオマスボイラーを使用して、木材を乾燥させ、余計なエネルギーを使わずに香りを集めるシステムで製造されています。
見過ごされていた森の恵みを、環境に優しい形で世の中に届けることができて、とても嬉しく思っています。
田口:国産の素材が広まることは、林業や森づくりなどに、循環が生まれることにも繋がっていきます。
深津:はい。全ては小さな積み重ねが、未来に繋がっていく。今後も、自然に敬意を払いながら活動をし続けます。では、今から田口さんの気分と暮らしに合わせて、香りを作りましょうか。
田口:うれしいです! どうぞよろしくお願いいたします。
そんな深津さんが大切にしている言葉は?
「本質」
「同じ植物でも産地や年、抽出者によって香りのメッセージが異なり、香りの本質を見るようにしています。また、香りを満たす空間の意図、そこに集まる人々の心を分析し、ブランドや企業の本質を読み、私自身のフィルターを通して表現しています。
私の本質は、思いを表現するアーティストではなく、デザイナーです。その引き出しを増やすために、知見と経験を増やし続けています」(深津恵さん)
――深津さんは、次世代のセンティングデザイナーや、留学生に知見を伝える活動にも力を入れていました。「それぞれの場で花を咲かせてほしいのです」とはにかむ深津さんは、香りの仕事を、自然と人の地球での共生という大きな視点で捉えています。自然と人の距離が近くなれば、世の中は優しくなる。そんな希望を感じました。
深津さんの暮らしに欠かせないアイテム
「アロマプランツハンターとして世界中を巡っています。右手前にある茶色い“毛が生えているような石”は、チュニジアの海で拾ったもの。毛の正体は海藻です。他には、ブルガリのラベンダー畑の石、デンマークで出会った石などです。“火をつけて燃えないもの”に価値を感じており、コツコツと集めています」(深津恵さん)
「長い研究で、サスティナブルな製法を考案し、リリースすることができました。安らぎがある木の香りは心を穏やかにしてくれます」(深津恵さん)
「調香は、精油のみを混合して制作します。精油は香りが凝縮した強さがあるので化粧品やアロマスプレーなどはエタノールなどで希釈し使用されます」(深澤恵さん)
大分県日田市生まれ。18歳まで自然のなかで過ごす。大学卒業後、航空会社での勤務経験を経て、香りの世界へ。アロマセラピーの国際ライセンスを取得し、植物の香りで空間を彩る世界観を探求。香りのトータルサービスを提供する“@aroma”の立ち上げから携わり、“ANA”、“LEXUS”ほか「香りの空間デザイン」のプロジェクトを手がける。日本、アメリカ、ヨーロッパ、中国において、ヘルス&ビューティ、ファッション、サービス業ほか、多岐にわたる香りの空間デザインや商品化、オリジナルアロマのデザインを担当。近年は、大学での教鞭、講演やセミナーも行い、香りの文化を広げる活動を行う。著書に『Scenting Design -カオリしつらえ-』がある。 Instagram:agreen_official_japan
人生のすべての瞬間を美しく、小さな光でそっと照らすように。